東京 – 己二酸（別名ヘキサン二酸、CAS 124-04-9）は、分子式C₆H₁₀O₄を持つ直鎖状の飽和二塩基酸だ。両端にカルボキシル基（-COOH）を有する六炭素鎖は、結晶性パウダーとして常温で安定し、融点は約152-154 °Cである。この幾何学的シンプルさが、幅広い用途を可能にする化学特性を生み出している。

工業的に己二酸を得る主ルートは、シクロヘキサノールとシクロヘキサノンの混合物（KA油）の硝酸酸化である。硝酸は最も一般的な酸化剤であり、複数の中間体を経て進行する。この際副生する亜酸化窒素（N₂O）は強力な温室効果ガスだが、近年は排出されたN₂Oを分解・転換する触媒プロセスの開発が加速している。より環境負荷の低い製法として、ブタジエンのカルボニル化も研究されている。

二塩基酸として、己二酸のpKa1は約4.43、pKa2は約5.41と報告されており、適度な酸性を示す。カルボキシル基同士を4つのメチレン鎖で隔てられた構造は、分子内縮合反応を容易にし、所定条件下ではシクロペンタノンへのケトン化も可能になる。この反応性が、さまざまな合成中間体としての利用価値を高める。

反応性の高い末端官能基を活かし、己二酸は塩類・エステル類（アジペート）として多様に変換される。例えば、アジペートエステルはPVCをはじめとする樹脂の可塑剤として柔軟性を付与するほか、二塩基酸としてダイアミンと重縮合させることでナイロン66などポリアミドの原料にもなる。

化学プロセス設計において、己二酸の安定性・反応性・溶解性プロファイルを正確に把握することは不可欠である。供給元から得られる融点、溶解度、反応パラメータといった詳細仕様は、合成及び製造工程での高純度化設計に直結する。

要するに、分子構造が生む特有の化学挙動が己二酸を、ポリマー原料から機能材料まで幅広い工業用途で欠かせない存在にしている。持続可能な化学プロセスへの要請が高まる現在、その基礎化学を再評価することが重要となる。